さかまのパワプロブログ

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藤王康晴(1984年)

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藤王康晴(1984年)

打率.361 2本 8打点

 

享栄高校で4番として83年の選抜にも出場し、3本の本塁打や大会記録の11打席連続出塁を記録した左打者。夏の県予選では決勝で敗退し甲子園出場は叶わなかったが、高校通算49本塁打の打棒が評価されて同年のドラフト会議でドラゴンズから1位指名される。引退間際だった谷沢、モッカに代わる活躍を期待され、高木守道の引退後は着用者がいなかった背番号1を背負うことになった。1年目の1984年は、ジュニアオールスターで4打数4安打を記録。夏頃には一軍昇格し代打を中心に起用され、カープ北別府学らから打った2本の代打本塁打を含む活躍で少ない打席ながら打率.361を記録した。翌年以降はレギュラー奪取を期待されたが、守備難などで低迷しほとんど活躍できず、1990年に日ハムにトレード移籍。移籍初年度こそ70試合に出場したものの、3年で101試合の出場に留まり自由契約を受け現役を引退した。

 

【査定について】

代打〇...代打率.379(29-11) 2本

固め打ち...11打席連続出塁やジュニアオールスターの4安打

併殺...併殺4。左打者で打席数を考慮すると、ランナーがいた場面が多かったと考えても少し多いか

流し打ち...今回の注目査定ポイント。確認できる映像からはセンター前への安打が多かったが、槙原寛己から放った安打の映像を見るとものすごく技術で流し打ちができていることがわかる。高卒初年度ながらプロで通用する打撃技術を持っていたと判断。

高校時点でも当時の柴垣監督からも「無闇に遠くへ飛ばす事ばかり考えて力みが目立っていたが秋以降は力を抜く事を覚えて、コンパクトなスイングが出来るようになった」と評されている。

 

【ひとこと】

今回の査定は翌年以降の成績はあまり考慮していません。映像だけでも本当に新人離れしたものを持っていると思うので少しでも何かが違えば素晴らしい選手になっていたと思って悔やまれます...