さかまのパワプロブログ

パワプロでいやらしく遊んでます。再現選手のパワナンバーの公開がメインです

野村収(1978年)

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野村収(1978年)

17勝11敗 防御率3.14

獲得タイトル:最多勝

 

4球団を渡り歩き、史上初の12球団からの勝利を挙げた本格派右腕。駒澤大学大矢明彦とバッテリーを組み、東京大学リーグで最優秀投手、ベストナインなどの実績を残して1968年のドラフト会議でドラフト1位として大洋ホエールズに入団。最初の3年間で5勝に終わり、71年オフにロッテにトレードとなるが、移籍一年目から14勝を挙げ活躍。1974年に監督の金田正一実弟金田留広の獲得を望み金田に匹敵する投手として野村が指名され、交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。75年に最高勝率のタイトルを獲得。78年にトレードで大洋へ復帰すると、17勝の活躍で最多勝カムバック賞を受賞した。その後阪神に移籍し移籍一年目に12勝を挙げ、大洋からの勝利で史上初の12球団からの勝利を達成した。1986年限りで現役引退。大卒同期入団であった山本浩二有藤道世と共に実働18年、40歳まで現役を続けた。引退後は阪神、大洋、日ハム、シドニー五輪代表、東京国際大学の投手コーチを務めた。

 

【査定について】

球速、速球中心...現役時代にこだわり続けたのがストレート。ストレートに自信があったと考えられるが、被本塁打はほぼ毎年20本以上。当時を見ていた人の記述に「あまり直球投手には見れなかった。」というのも見られたのでDに。

対左...この年の被本塁打21の内、右打者から打たれたのはわずか3本。

回復...登板数、投球回から見ればB相当だが、終盤に成績が下がっていることと活躍し200イニング投げた次の年は毎年成績が下がっていることを考慮。

ポーカーフェイス...マウンドで淡々と投げ続けた。