さかまのパワプロブログ

パワプロでいやらしく遊んでます。再現選手のパワナンバーの公開がメインです

板東英二(1967年)

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燃えドラ名歌詞・迷歌詞キャンペーン 特別編②

 

「いいぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ

 

板東英二(1967年)

51試合 14勝6敗 防御率2.55

 

ご存知ゆで卵の人。高校時代は延長18回引き分け再試合や、1試合25奪三振や大会通算83奪三振の記録を残し、プロ入り後も2018年に小笠原慎之介に破られるまでは球団最年少記録だった21歳での開幕投手や、プロ入り3年目までで2度の二桁勝利を挙げるなど活躍したが、投球過多による怪我で長いイニングが投げられないようになり、中日初の中継ぎ、ストッパーに転向。1964年から3年連続の50試合以上登板など、回跨ぎが当たり前の時代に安定した成績を残した。1968年に右肘の手術を行うが、69年にはプロ入り後初の一勝も挙げられず、同シーズン限りで引退した。現役引退後は 解説者などを経て芸能界に進出。1974年にリリースした「燃えよドラゴンズ!」は大ヒットし、ドラゴンズのリーグ制覇に貢献(?)した。

 

【査定について】

今回はイメージ査定多め

球速...140台中盤のストレート。ノビを上げたので抑えめで。

変化球...決め球のフォーク、他にシュート、チェンジアップ、スライダー(苦手)、カーブ(苦手)を投げていたことから、苦手な球種と変化方向が被るチェンジアップを抜いてフォーク、シュートの2球種と考えていたが、史上初の1球勝利を挙げたボールがカーブ(苦手なカーブを投げたら相手が当ててくれた)というエピソードを発見。苦手な球種だったのでほとんど投げていなかったとは考えられるが、「板東英二」らしさを出すためには必要と判断し追加。たまにはこういうのも大事。

リリース... リリースした燃えドラが大ヒット。少しでも前でリリースする意識をしていた

勝運...中継ぎのみで14勝を挙げる。「そりゃ50試合も投げて回跨ぎもしてれば勝ちはつくんじゃないの??」と思うかもしれないが、登板記録を見ていくと投球回3回以下の試合で9勝を挙げている。

力配...オールスターで手を抜いてランニングホームラン打たれる。それだけではないが、高校とプロ入団当初はバリバリの先発力投完投型の投手だったので残してもいいと判断。

ケガ...前述の投球過多や「関節ネズミ」を抑えるために肘を自転車のチューブから取ったゴムでグルグル巻きにして投げたというエピソード。現代でやったら確実に病院行き。

先発適正...この年は先発登板は1試合のみ(4回2失点で勝ち負けつかず)。前述の通り長い回は投げられないとあるが、普通にリリーフで7回投げたりしているので体力がないというわけではないと思うが、そもそも首脳陣が先発として起用するつもりがなかったと判断し、あえて先発適正はナシ。回跨ぎもデフォルトではスタミナC以上にはついていないのでナシ!

 

【ひとこと】

特別編第2弾はこの人です。燃えドラキャンペーンといえばやはり外せませんね。今回は結構イメージ多めでしたが、個人的には納得できた査定です。今回で燃えドラキャンペーンは終了です。みなさんお疲れ様でした。次回からは満遍なく作っていこうかなと思ってます。よろしくお願いします。

 

燃えドラキャンペーンでかなり参考にさせて頂いたサイト様のリンクを勝手に貼らせていただきます!本当にありがとうございました!(迷惑だったら消します。)

燃えよドラゴンズ 傾向と対策さん⇒http://www.ichihara.com/dragons/moedra/index.html#KASHI3

フェリックス・ミヤーン(1979年)

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燃えドラ名歌詞・迷歌詞キャンペーン 特別編①

 

「ミヤーン打法の正岡も」*1

 

フェリックス・ミヤーン(1979年)

打率.346 6本 41打点

獲得タイトル:首位打者

 

メジャーで実働12年間、ゴールドグラブ賞2度の実績を引っ提げ、1978年に大洋ホエールズに入団したプエルトリコ出身の内野手。同年に巨人に移籍したジョン・シピンに代わり二塁手に定着したが、1年目の1978年は自慢の守備を前年の右鎖骨骨折で安定を欠き、打率も.287といまひとつ。翌1979年は開幕控えスタートとなったが、6試合目に代打で出場すると4月月間打率.459の活躍でポジションを奪い返す。6月まで打率4割をキープした打撃と安定感を増した守備で大活躍。シーズン途中の怪我で出場は98試合の出場に留まったが、規定打席に到達し大洋初の首位打者を獲得。ベストナインにも選出された。36歳での首位打者獲得は現在も破られていない最高齢記録である。翌年も日本でプレーしたが81年にはメキシカンリーグで1年プレーし引退。

 

【査定について】

チャンス...弱かった。打点で見てもいまひとつか。

粘り打ち...MLB時代も通じて三振が非常に少ない。あまり三振数で粘り打ちをつけるのは好きじゃないんですが、あまりにも少なすぎるので採用。

守備職人...前述のゴールドグラブ賞。華麗なバックトス

バント...MLB時代の1974年には24犠打で最多犠打を記録。日本に在籍した3年間も二桁犠打を記録。

プルヒッター...今回のメイン査定ディッシュ(重要)。この年は6本の本塁打を打っているが、前述の通り出場試合が少なかった為、364打席でこの数字となっている。だいたい1年ポジションを守ったら到達する500打席で換算すると約8.5本ぐらい。この数字だけ見ると大体パワーD、高くてもミート多用+Cぐらいかなー。と考えていた、しかーし!!ミヤーンのMLB時代の記録も通して見るとこの年以外長打率4割超の年はなく、明らかにアベレージタイプのバッターということが分かった。つまりパワーはEぐらいが良い!!(見た目的にも)ではこの増えた本塁打をどうするか!?そこでプロ野球データファイルを見てみると本塁打が全てレフト方向ということが判明。ならばプルヒッター!?、6本塁打の打者につけていいのか!?うおおお悩むぜ!!!!!

 

 

デフォルトの中日大島(2018年7本塁打)についていたのでつけました。

調子極端...4月から月間打率.459、.406、.406と絶好調だったが、7月からは.256、.299、.295、.333と調子が落ちた。

 

【ひとこと】

少し前回から間が開きました。今回からは特別編です。正直その歌詞だと正岡を作成するのが正常なんですが、正常じゃないのでミヤーンを再現しました。(だから特別編ね)プルヒの査定はお気に入り査定になりそうです。あ、あと今日で2019年のプロ野球シーズンが終了しました。選手の皆さん本当にお疲れ様でした。

*1:どう聴いても「ミヤコン打法」に聴こえる

服部受弘(1949年)

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燃えドラ名歌詞・迷歌詞キャンペーン第10弾

 

「主将の服部 大エース」

 

服部受弘(1949年)

24勝10敗 防御率3.00

打率.313 6本 25打点

 

愛知県岡崎中学校(現在の愛知県立岡崎高校)から日本大学を経て1939年に名古屋軍に入団。当初は強肩強打の捕手として活躍し、1941年に捕手として初の本塁打王を獲得するなど活躍。1942年から応招されたが、1946年に中部日本軍に復帰すると、選手不足から投手に転向。直ぐに頭角を現し、この年から5年連続の二桁勝利を挙げるなどチームを支えた。特に1949年には孤軍奮闘の24勝、翌1950年には杉下茂に次ぐ21勝を挙げた一方、野手としての能力にも優れ、投手ながらクリーンナップや代打としても活躍。1952年には球団初の代打逆転満塁ホームランを放ち、その後にリリーフ登板し勝利投手となる離れ業を演じている。1955年からはコーチを兼任、1度専任コーチとなるも再び現役復帰し、1958年からは兼任助監督となったが、その年限りで引退。背番号「10」永久欠番となった。

1991年、心不全のため死去。享年71歳。

 

【査定について】

球速とか...わからないのでイメージです...デフォOBの杉下に合わせたのもあるけど、肩力がB以上になるようにもしました。

コントロール、送球...「捕手出身であるのでコントロールは良かった」とある。この時代の四球率とかあまりわからないですが普通に悪くないのでBに。捕手時代の送球も良かったと思うのでBに。

変化球...杉下茂の著書に「指が短く、手を捻るカーブが投げらず、指先で切るカットボールを得意とした。」とある一方、「プロ野球データファイル」には「投手1年目には直球と落ちるカーブを使っていたが、2年目以降にスライダーを習得した。」とある。カットボールは前のアプデで動かす球感が強くなってしまったのでHスラを採用。カーブは杉下さんの本を採用し、スライダー気味のカーブになるスラーブを採用。シュートは当時の選手名鑑に投げていたという記述があるので採用。

重い球...シュートが重かった。グラウンドボーラーという記述も

打たれ強さ...黎明期にはよくあることですが完投数と投球回がすごい。打ち込まれても全然完投している試合が多々ある。見栄えからスタミナSにしなかったぶんの補正も。

クイック...フォームがコンパクトでクイックのような効果があったと記述があるが、おそらくこれは打者のタイミングを狂わす方。クイックという概念自体はあったと思うが、服部本人が自身は不器用な選手だったと語っている為現代野球並のクイックができたかは怪しいのでD

 

ミートパワー...規定到達はしていないので3割は参考記録として、ほかの年度を見てみると2割後半が多いのでそれぐらいに。パワーは規定換算。本塁打王も考慮してミート<パワーになりました

チャンス...打席、安打数と比較しての打点が多い気がする。代打要員でもあったことから勝負強かったのではと推測、前述の代打逆転満塁ホームランのイメージも

意外性...「意外性のあるバッター」という記述あり。代打〇と迷ったんですが代打率がスタメン時打率より少し劣るのと単純に似合わないのを考慮して代打〇の代わりにも...と思って9/15に作成したら最新アプデで代打時の意外性の効果がなくなりました。まあ代打時の本塁打は0本なのでこれでもいいんじゃないでしょうか、全然いいと思います

盗塁...鈍足という記述があるわりに成功率が意外と良い。ただそんなに盗塁するタイプでもないので慎重盗塁をつけました

キャッチャー能力...キャッチャーから転向したことからか捕手能力を下げている査定も見たんですが、服部が捕手として最も多い73試合に出場した1941年と27試合のみの1940年の名古屋軍の投手陣の記録を見ると普通に41年が良くなっているのでE以下はないっしょと判断してD

 

【おまけ】

この年は投手以外の守備にはつかなかったのでそっちも作成しました。サブポジ以外はすべて同じです。気になる方はドーゾ

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【ひとこと】

燃えドラキャンペーン最終弾は「燃えよドラゴンズ!! 往年の名選手編」の永久欠番・服部選手です。正直年度ごとの燃えドラからじゃないので反則なんですが、中日の10番目と言えば服部選手なので気合いを入れて作りました。(日本プロ野球記録さんで完投した試合と打席に立った試合のスコアを全部見たりして)

 

あ、あと今日でブログ1周年みたいです。全然投稿していない時期もありましたが、なんとか1年続きました。これからものらりくらりと続けていきたいので、よければこれからもお付き合いください。支えてくださった全ての方に感謝...

 

パワプロOB選手査定オフ会2019に参加しました

9月15日に某所で開催されたパワプロ査定オフ会2019に参加しました。

 

参加メンバーは当ブログのさかまと

ともぴーさん(港の星達
カメハさん(カメハのパワプロ2019
82さん(パワプロのこととかを書くブログ
区星さん(区星のパワプロ2018ブログ
Senさん(senのパワプロ日記
義烈さん (義烈のNPB選手公開blog
星野龍馬さん(わいるどぶるー☆そのまま
東高校さん(東高校のパワプロ日記
sawaさん(sawaさんのゲーム日和、パワプロばっか!

(ブログ名敬称略)

のなんと計10人。こんなに大人数でやるのは査定オフ会史上初だったらしいです。

 

まず始まったのは査定会議。色々話しましたが、特に印象に残った議題は

・ロバートローズ(1999年)のチャンスについて
京田陽太(現役)の走塁査定
・精神的支柱
・巨人阿部のキャッチャー能力
・「いぶし銀とは技術と経験の結晶である」bySenさん
クロスファイヤーは右投手につけてもよいのか?
・精神的シチュー
・区星さんの名前の呼び方
・好きな女の子のタイプ

などなど。

何故か後半から僕が進行役になったりしましたが、とても勉強になりました。わいるどぶるーさん発案の特能をひとことで書いて見せ合うのとか楽しかったですね。

 

次に行われたのは、各職人がこだわりの査定を披露する企画、「俺のこの選手を見ろ!」僕は1999年の松坂を発表しましたが、本当にみなさんそれぞれ査定のこだわりがあって楽しかったです。再現選手だけでなく、架空選手についても勉強になりました。再現選手では義烈さんのオレラーノの変化球を映像から判断して査定したという話にとても関心しました。架空選手は82さんのエネエスゴなどがインパクトが強かったですね。なんなんだこいつは

 

場所を変えて食事の場でも査定雑談。聞きたいことから言いたいことまで討論の無法地帯みたいでとても楽しかったです。

 

その後それぞれが作成したアレンジチームを使って観戦試合。さかまの中日オールスター(ほぼ全盛期じゃない)は義烈さんのガッツ小笠原、Wローズ擁するオールスターチーム(先発:オレラーノ)と対戦。結果は最終回にピンチを迎えながらもなんとか勝利...試合も楽しかったですが、査定職人の方々と色々話しながら見るのも楽しかったですね。

私はここで離脱しましたが、その後オリジナル球団ペナントやトークで議論は翌朝まで続いたとか...

 

色々学ぶことができて、何より同じパワプロブログをされているみなさんと交流できたことが本当に楽しかったです。

最後に企画・参加された方々へ
本当にみなさんありがとうございました。みなさんそれぞれの査定に対しての視点や考え方が知ることができて本当に貴重な経験になりました。僕自身が参加できたことが嬉しくてついついちゃらんぽらんなことを喋り続けてしまったり、拙い進行でご迷惑をおかけしてしまってすみませんでした。本当に楽しめて、参加できて心から良かったと思います。カメハさんはいかがわしいワードで検索しようとしないでください。


また機会がありましたら、よろしくお願いします。

それでは。

 

郭源治(1988年)

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燃えドラ名歌詞・迷歌詞キャンペーン 第9弾

 

「踊る守護神 郭源治

 

郭源治(1988年)

61試合 7勝6敗 37S 防御率1.95

最多セーブ MVP

 

台湾出身の剛球右腕。1981年に中日に入団すると、2年目から先発ローテーションに定着、翌83年から4年連続二桁勝利を挙げるなど活躍した。87年に当時の抑えの牛島和彦がロッテに移籍したことに伴い星野仙一から抑えに指名され、評論家からはメンタル面の指摘をされたが、実際にマウンドに上がると闘志剥き出しのピッチングで次々と打者を抑え、2年連続で最優秀救援投手を獲得した。特に1988年には抑えながら111回を投げ、シーズン途中に弟が交通事故で亡くなるという悲劇を乗り越えリーグ優勝に大きく貢献。MVPにも輝いた。

外国人投手唯一の100勝100セーブを達成した投手でもある。

 

【査定について】

スタミナ、先発適正...先発での実績も充分だが、1987-89年で先発登板わずか1。88年のインタビューでも「先発に復帰したいが、多分5回までしか持たない」と語っている。イニングを全力で抑える中継ぎ型の投球スタイルになっていたと判断して先発適正は一段階下げました。ただ身体能力的なスタミナはあるので抑えとしては高めに

対ピンチ...通常時の被打率もとんでもなく低いが、得点圏の方が少しだけ低い。圧倒的なので採用。

野手能力...身体能力が非常に高く、一時は野手転向も本気で考えられた。この年はサヨナラホームランも打っているので高めに。

 

パワター...頑張って似せました。結構良くない?

 

【ひとこと】

MVPを取った年の郭投手です。色々迷って今回は抑えでスタミナBと思い切った査定にしましたがこれでいいのか...??フォームも探したんですがなかなか似てるのがないですね、正直今回一番自身のあるのはパワターです

 

 

大島康徳(1974年)

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燃えドラ名歌詞・迷歌詞キャンペーン 第8弾

 

「一発長打の大島くん」

 

大島康徳(1974年)

打率.258 11本 48打点

通算2204安打、382本塁打とシーズン最多代打本塁打などの記録を持つスラッガー

入団時は投手だったが、投球練習の1球目で投手失格を言い渡され打者に転向。長距離砲として期待され、4年目に規定到達で3割到達。1974年には外野手、三塁手一塁手として活躍しリーグ優勝に貢献した。同年の最終戦である長嶋茂雄引退試合では中日代表として花束を渡した。その後も中軸として活躍し、最多安打本塁打王などに輝き、移籍した日ハムでは7年間活躍。1990年に当時史上最年長の2000本安打を達成した。引退後はWBCの打撃コーチなどで活躍したが、2016年に大腸がんを発症し手術。現在も闘病を続けながら野球界に関わり続けている。

 

【査定について】

チャンスB...得点圏.322、66安打で46打点

調子極端...バッティングの波が激しかった為、代打起用が多かった。

代打〇...シーズン最多代打本塁打要素、この年も代打率.391

プルヒ...本塁打王の年に引っ張り方向が多い。本人も、「いつもフックボールで3塁線を抜きたいと考えていた。」と語っている。*1

守備とか...センターでの出場も多いのでセンターに起用できるぐらいに

走塁...意外と二塁打が多い

 

【ひとこと】

今回のはかなり有名なフレーズですね。一発長打感が欲しかったので打撃能力がちょっと強いかもしれません。大島のサブポジレベルが全部最大なの長距離砲なのにユーティリティ感が出ていいですよね。ちなみに現役の大島洋平燃えよドラゴンズ!2010で「俊足快打の大島くん」と紹介されています。74年版との対比ができていい歌詞〜

 

*1:インコースヒッターとも迷ったが、この前作成した宇野勝との対談で打撃スタイルが似ていることがわかったので合わせたかったってのもある...

川上憲伸(1998年)

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燃えドラ名歌詞・迷歌詞キャンペーン第7弾

 

川上憲伸 一騎討ち」

 

川上憲伸(1998年)

14勝6敗 防御率2.57

新人王

2000年代を代表するドラゴンズのエース。明治大学から六大学野球28勝、ベストナイン3回の実績を引っさげ入団した1年目の1998年、開幕から先発ローテに定着する。前半戦だけで8勝を挙げるなど勝利を積み重ね、六大学時代からのライバルであった巨人ドラフト一位の高橋由伸と激しい新人王争いを繰り広げた。後半戦も安定したピッチングで最終的に14勝を挙げ、高橋との直接対決でもわずか1安打に抑えたこともあり、新人王を受賞した。

 

【査定について】

対左...カットボール習得前なのでちょっと左に弱い

ノビ、速球中心...この年は直球が武器、川上自身も自分の投球はストレートが生きてこそと語っている。

回復...しっかりローテーションに入っていて好成績なのでつけようか迷ったが、疲労で翌年に肩痛を残しているのでD

一発...コントロールがいいわりに多い。メジャーに行く前は怪我で離脱していた2003年を除き毎年二桁被本塁打を記録。20被本塁打以上も4度。

闘志...川上憲伸といえばガッツポーズと雄叫びだがこの年はあまり吠えていない

野手能力...強い

 

【ひとこと】

ルーキー川上です。カットボールがないとこんなに正統派エースっぽくなるんですね〜。メジャーから帰ってきた後はあまり勝てなかったですが、戻ってきてくれたこと自体がとても嬉しかったですね。野球解説やラジオもとても面白いので引退後も大好きです。